生産技術から営業、そして独立へ


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17年間の現場人生

私は17年間、生産技術の道を歩んできました。
国内外の工場を飛び回り、改善や効率化に明け暮れる毎日。油の匂いに包まれ、鉄の響きに耳を澄ましながら、仲間と共にトラブルを解決する日々は、私の青春そのものでした。

ただ、心のどこかでこう思っていました。
「この努力は、誰に届いているのだろう?」
「もっと外の世界で、この経験を活かせないのか?」


無謀に見えた転身 ― 技術者から営業へ

40歳を前に、私は大きな決断をしました。
それは、生産技術からベンチャーに飛び込み、営業へ転身すること。

周囲からは「今さら遅い」「技術職のままが安定だ」と止められました。
それでも挑戦したのは、「現場を知り尽くした自分だからこそ営業で力を発揮できる」と信じていたからです。

営業は数字の世界。
最初は思うように結果が出ず、夜眠れないほど悔しい日もありました。
けれども、技術の裏付けをもとに顧客の課題を一緒に考える姿勢は、次第に評価されるようになりました。

ある顧客に言われた言葉を今でも覚えています。
「佐藤さんの話は現場の映像が浮かぶ。だから安心できる。」
この一言で、営業としての自信をつかみました。


営業で学んだ「人を動かす力」

生産技術の頃は「技術さえ優れていれば人は動く」と考えていました。
しかし営業を経験して痛感しました。最後に人を動かすのは「信頼」だということを。

何度も現場に足を運び、雑談を重ね、課題を一緒に悩む。
そうした積み重ねが「この人から買いたい」という信頼に繋がるのです。

営業は厳しい世界でしたが、そこで培ったのは「人間力」でした。


営業を経験していなければ独立はなかった

振り返れば、この営業経験がなければ、今の独立は絶対にできなかったと思います。

生産技術だけでは「つくる力」はあっても、「伝える力」「売る力」が欠けていました。
独立して事業を起こすには、この両方が必要です。

営業を通じて、顧客に提案し、信頼を築き、契約に結びつける力を身につけたこと。
それこそが、私が独立できた最大の理由でした。


独立後の今 ― JOINTSPARKSとして

現在の私は「JOINTSPARKS」という屋号を掲げ、製造業の現場改革プロデューサーとして活動しています。

全国の中小企業を訪問し、経営者や現場の人たちと議論を重ねています。
ただモノを売る営業ではなく、現場と経営、技術と人をつなぐ“バウンダリースパナー”として動くのが私の役割です。

例えば――

  • カメラやIoTを活用した現場の点検自動化
  • 製造ラインの生産性改善
  • 情熱ある人材を社外と繋げ、改革の火を広げること

これらはすべて、生産技術と営業の両方を経験したからこそできる仕事です。


技術と営業、その先へ

生産技術で「現場」を知り、営業で「人」を知った。
その両方を経て、私は今「社会を変える現場改革」に挑んでいます。

もし、あの時、営業への挑戦を恐れていたら。
私は今も工場の片隅で、世界の広がりを知らないままだったでしょう。

挑戦は怖い。失敗もある。
けれど、あの一歩が未来を切り拓きました。


最後に

生産技術から営業へ、そして独立へ。
これは単なるキャリアチェンジではなく、私の人生そのものを変える挑戦でした。

これからも私は、技術と営業をつなぎ、現場と社会を結び、ものづくりに「熱」を取り戻す存在であり続けたいと思います。
今日の展示会を通じて、そんな想いを強くしました。


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