
私は山形を拠点とし全国に飛び回っているのですが、都内に行けば移動の電車で各お客さんへ訪問をしています。
そんな中で、ふと近くに立っていた制服姿の高校生が、英語のテキストを開いていたので、その姿に刺さりました。
周囲の大人たちは、ほとんどがスマホを触っていましたし、SNSかゲームか、何かしらやっています。
電車の中でよくある光景ですね。でもその学生はテキストに向かって勉強しています。
「自分で決めて、この時間を使っている」
なぜかそういったイメージが私の頭の中にふってきました。
誰かに強制された様子もない。
見せるためでも、評価されるためでもない。
自分なんて集中力が散漫して、きっと英語のテキストを眺める集中力すらありません。
学びの価値は、内容ではなく姿勢
英語が役に立つかどうか。
資格が将来につながるかどうか。
正直、それ自体は本質ではありません。
大切なのは、
自分の意志で学んでいるかどうか。
誰かに言われたからでもなく、
環境に流された結果でもなく、
「今やる」と決めて続けているか。
その姿勢は、
知識より先に、その人の輪郭をつくります。
大人になるほど、選ばなくなる
社会に出ると、
学ぶことは「必要になったらやるもの」になります。
忙しさや合理性を理由に、
自分で選ぶ場面を減らしていく。
でも彼は、
少なくとも今この時間、
自分で選ぶことをやめていませんでした。
それが、強く印象に残りました。
何も言われずに、問いを投げられた
彼は、何かを主張したわけではありません。
誰かに影響を与えようとした様子もありません。
ただ、そこに立って、
テキストを読んでいただけです。
それなのに私は、
「自分は今、何を選んでいるだろうか」
そんな問いを突きつけられた気がしました。
もう一度、選ぶ側に戻る
大きな決意は必要ありません。
生活を変える必要もありません。
ただ、
自分で選ぶ感覚を取り戻す。

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