
現場の仕事は、本当に軽く見られるものなのか
「現場仕事=ブルーカラー」って、世の中的にはどこか軽く見られがちな空気がありますよね。
でも、私は昔からその感覚にずっとモヤモヤしていました。
もちろん、「ホワイトカラーの仕事がすごくない」なんて言いたいわけじゃありません。 むしろ逆です。
何もない机の上から、言葉や数字、新しい仕組みを組み上げて価値を生み出していく。
正直なところ、それはそれで「本当にすごいな」と純粋に尊敬しています。
ものづくりが好きだった、ただそれだけの話
私は小さいころから、ただただ「ものづくり」が大好きでした。
あーでもないこーでもないと頭で考えて、実際に手を動かして、形にする。
頭の中で絵がいたものを形にする。あの瞬間がたまらなく好きだったんです。
それなのに、大人になるとそれを「ブルーカラー」とか「ホワイトカラー」なんて言葉で分けたがりますよね。
しかも、分けるだけならまだしも、そこにどういうわけか「上下関係」みたいなヒエラルキーが生まれてしまう。
本来はただ役割が違うってだけのはず。 それなのに、いつの間にか上下関係の話にすり替わってしまう。
この感じ、昔からずっと違和感を感じていました。
提案は、根付いて初めて価値になる
どれだけ立派な提案だって、 どれだけ綺麗な資料だって、 現場で使われなければ、正直言って何の意味もありません。
無理に導入しても結局続かない。 ただ現場の負担が増えるだけで、いつの間にか元のやり方に戻っている……。
そんな光景を、私はこれまで何度も、嫌というほど見てきました。
「改善」や「提案」って、出した時点ではまだ未完成なんです。
現場の人たちが実際に使い、その意味を理解し、それが日々の「当たり前」になっていく。
そこまで辿り着いて、初めて本物の「価値」になります。
現場を知らずに語る改革は、空回りする
現場で一体、何が起きているのか。 なぜ、あえて非効率に見えるそのやり方が残っているのか。
どこに本当の無理があって、どこなら無理なく変えられるのか。
ここを置き去りにしたまま進める「改革」は、どうしても空回りしてしまいます。
ただ上から現場を「動かす側」と、泥臭く現場と「向き合う側」。
この両者の差は、時間が経てば経つほど、残酷なくらいはっきりと結果に表れてくるものです。
ブルーでもホワイトでもなく、最後まで責任を持つ人でありたい
大事にしているのは、職種を色分けして語ることではありません。
生み出した価値を、最後の最後まで「形」にすること。
現場にしっかり根付いて、みんなに使い続けられる状態になるまで、きっちり責任を持つこと。
ブルーカラーか、ホワイトカラーか。 そんな言葉の分類なんて、正直どうでもいいんです。
それよりも、 「それ、現場で本当に使われていますか?」
この問いから逃げずに、真っ直ぐ向き合えるかどうか。 そこにこそ、仕事の本質があると思っています。

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